明智光秀の出身について書いてある一番古い古文書(こもんじょ)「淡海(おうみ)温故録(おんころく)(1684~1688年)」の文献と多賀町佐目に伝わる口伝が一致!
光秀のミツから字をもらい「見津」と書き「けんつ」と読む一族にのみ代々伝わる「十二相神社近くに光秀が住んでいた屋敷があった」というもの。
「淡海温故録」によると、光秀の2~3代前が主君の土岐成頼に背いて美濃を離れ、六角高頼を頼って多賀町佐目に移住。戦国時代の佐目には3つの山城があり美濃とも近く、近江を制するのに重要な位置であったと考えられていました。また、山崎の戦い(1582年)では、多賀氏・久徳氏・土田氏などの犬上衆が光秀の家来ではなかったにも関わらず、昔の旧き(ふる)好み(よし)で応戦したという伝承が残されています。
交通アクセス:彦根ICから車で約20分、多賀大社前駅から車で約15分(国道306号経由)
多賀大社前駅または多賀町役場から愛のりタクシーで「上(かみ)佐目(さめ)」まで約25分(要予約)
近江タクシー 0749‐22‐1111
十二相神社 滋賀県犬上郡多賀町佐目472
お問い合わせ
●一般社団法人多賀観光協会 TEL 0749‐48‐1553
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●佐目十兵衛会 (代表 見津) TEL 090‐5668‐1866
一般社団法人多賀観光協会
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